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東京地方裁判所 昭和56年(モ)8513号 判決

債権者

株式会社日建

右代表者

食野三郎

右訴訟代理人

江口保夫

草川健

鈴木諭

債務者

石原建設株式会社

右代表者

石原孝信

右訴訟代理人

石原寛

仁平勝之

吉岡睦子

主文

債権者と債務者間の東京地方裁判所昭和五六年(ヨ)第三九〇二号不動産仮処分申請事件について、同裁判所が昭和五六年五月二三日になした仮処分決定は、これを取消す。債権者の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  債権者

1  主文第一項記載の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)を認可する。

2  訴訟費用は債務者の負担とする。

二  債務者

主文第一ないし第三項と同旨

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1(一)  別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)及び同土地上の同目録二、三記載の店舗(以下「本件店舗」という。)は、債務者が株式会社大容(以下「大容」という。)から買受けたものであるが、同目録二記載の店舗は藤田進が、同目録三記載の店舗は山下忠が賃借していた。そして、大容と借家人藤田、同山下(以下「借家人藤田ら」という。)との間で、大容が本件土地上に鉄筋コンクリート造のマンションを築造し、その建築確認が得られ次第借家人藤田らは本件店舗を明渡す旨の和解と右マンションの一階専有部分を借家人藤田らに売渡す旨の合意(売買予約)が成立していた。

(二)(1)  債権者は、昭和五五年一〇月五日ころから債権者側の仲介人である菱和商事株式会社社員上田民治(以下「仲介人上田」という。)を通じて、債務者側の仲介人である株式会社信興の代表取締役酒井正則(以下「仲介人酒井」という。)を介し、本件土地及び本件店舗ほか三棟の建物(以下「本件土地建物」という。)の売買の取引条件について交渉を重ね、同月一二日ころ売買価格を金二億九五〇〇万円とすることで合意し、同月二三日債権者は債務者に対し、本件土地建物の買受希望価格金二億九五〇〇万円、支払条件別途協議、有効期限昭和五五年一〇月末日とする内容の買付証明書を交付した。

(2)  そして、昭和五五年一一月六日、債権者と債務者は、本件土地建物の売買に関し、売買代金二億九五〇〇万円、本契約時に手付金と内金とで金二億円を支払い同時に所有権移転登記を行う、本契約は借家人藤田らから本件土地上に新築する建物に出戻りしない皆の立退念書を取得して年内に締結する、残金は借家人藤田らの立退完了時に決済する等の条件を合意したが、債務者が残金決済まで残金につき抵当権を設定することを希望し、債権者が金融機関の代理受理証明書に代えるように要望したため、最終合意するに至らなかつた。

(三)  昭和五五年一一月二七日、債務者から債権者に対して左の条件を内容とする売渡承諾書が交付され、その結果、同日、債権者と債務者との間で左の条件を内容とする本件土地・建物の売買契約が成立した。

(1) 売買代金 金二億九五〇〇万円

(2) 代金支払方法 契約締結時に手付金・内金二億円を支払う。

金融機関との代理受理書と引換えに所有権移転登記手続をする。

残金九五〇〇万円は引渡時に支払う。

(3) 引渡条件 現況有姿のまま。

(4) 契約締結時期 債務者と大容とが本件店舗の明渡に関する契約を締結し、店舗賃借人より立退念書徴求後。

(四)  その後、債務者から、借家人藤田らから立退念書を入手することが困難であるということで立退念書なしで契約をお願いできないかとの申出があり、昭和五五年一二月一六日、立退念書に代わる方法として、大容と借家人藤田らとの前記の立退きの合意を利用し、昭和五六年三月末日ころまでに、債務者が本件土地上に新築する建物の建築確認を得て本件店舗から借家人藤田らを立退かせ、直ちに売買契約を履行することに変更された。

その後、建築確認に添付する建物の設計図面は後日債権者が本件土地上に建築する建物に利用できるように配慮して作成することが約束された。

(五)  昭和五六年二月、債権者は債務者から新築建物の設計図面を受領するとともに、日照補償等の近隣対策の進行状況について説明を受け、昭和五六年四月九日、債務者から建築確認申請用設計図面を受領し、同月中には建築確認が得られるとの報告を受けた。ところが、同月一五日、債権者は債務者から、借家人藤田らが新築建物に入居したいと申出たので売買契約を中止し、債務者自らマンションを建築し販売することに決定した旨の連絡を受けた。

(六)  借家人藤田らは昭和五六年五月一〇日本件店舗から退去し、本件店舗は同月一五日取壊された。

2  仮に、昭和五五年一一月二七日売買契約が成立していないとしても、同日、前記1の(三)及び(四)記載の合意を内容とする売買予約契約が成立しており、昭和五六年五月一〇日本件店舗から借家人藤田らが立退いたので、債権者は債務者に対し、同月二〇日到達の書面でもつて売買予約完結の意思表示をした。よつて、同月二〇日前記1の(三)及び(四)の記載の合意を内容とする売買契約の効力が生じた。

3(一)  前記のとおり、昭和五六年四月一五日、債権者は債務者から本件土地の取引を中止する旨の一方的な連絡を受けており、昭和五六年五月一五日に本件店舗が取壊され、債務者において本件土地上の新建物の建築工事に着工するに至つた。

(二)  債権者において債務者に対する本件土地の引渡請求及び所有権移転登記請求の本案訴訟において勝訴判決を得ても、債務者が本件土地上に堅固な建物を建築してしまえばその執行をなすについて著しい困難を生ずることは明らかである。従つて、本件仮処分決定は正当であるからその認可を求める。

二  申請の理由に対する認否及び債務者の反諭

1(一)  申請理由1、(一)は認める。

(二)  同1、(二)のうち、(1)は認め、(2)のうち昭和五五年一一月六日債権者と債務者とが本件土地建物の売買について売買代金、代金支払方法、引渡条件等の交渉をしたことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同1、(三)のうち、昭和五五年一一月二七日、債務者が債権者に対し、債権者主張の条件を内容とする売渡承諾書を交付したことは認めるが、その余は否認する。

なお、売渡承諾書に契約時期の項が記載されるに至つた経緯は次のとおりである。

昭和五五年一一月六日の交渉において、当時、大容と借家人藤田らとの間で、債権者主張の本件店舗の明渡の合意のほか、大容が将来本件土地上に建築するマンションの一階専有部分の売買予約が成立していたため、債権者から本件土地を本社用地として利用したいので、借家人藤田らの右売買予約を解消して更地で売渡して欲しいとの申入れがなされ、交渉の結果、債務者において借家人藤田らとの紛争を避けるため、借家人藤田らから大容との間の前記売買予約を解消し立退時期を明確にした念書を取つたうえ契約を締結することとし、売渡承諾書の契約締結時期の特約が定められるに至つたもので、右特約は債務者において借家人藤田らから立退念書を取ることができたならばその時に契約を締結するとの意味である。

(四)  同1、(四)のうち、売渡承諾書交付後、債務者において本件店舗の借家人藤田らから債権者主張の立退念書を入手することが困難であることが判明したため、借家人藤田らから立退念書を取る方法に代えて大容と借家人藤田らとの間の前記立退きの合意を利用して借家人藤田らを立退かせる方法に変更されたことは認めるが、その余は否認する。

なお、昭和五五年一二月一六日の交渉経過は次のとおりである。

昭和五五年一二月一六日、売買契約締結の席上、債権者から、弁護士と相談した結果、今直ぐに金二億円を支払つて現状のまま年内に契約をすることはできない、契約は建築確認申請時でなければ締結できない、残金は建築確認時が少くとも確認が下りる予定日に支払うこととしたいとの申入れがあつたが、債務者は借家人藤田らが使用している現状有姿のままで年内に契約を締結し、契約時に金二億円を受取ることを売買の条件としていたので、債務者の右申入れは受け入れがたく、結局売買条件が折り合わなかつたため、同日をもつて本件土地建物の売買の交渉を打ち切ることになつたものである。

(五)  同1、(五)は否認する。

もし、債権者が確認申請添付の設計図面を利用して本社ビルを建築するのであれば、当然に債務者と設計に関し密接な打合せが必要なところ、債務者は債権者から設計上の指示や注文を受けたりしたことはなく、昭和五六年に入つて債権者と債務者間で本件土地建物の売買について交渉・協議がもたれたことも一度もない。

(六)  同1、(六)は認める。

2  同2のうち、昭和五六年五月一〇日借家人藤田らが本件店舗から立退いたこと、同月二〇日債権者主張の内容の書面が到達したことは認めるが、その余は否認する。

3(一)  同3、(一)のうち、昭和五六年五月一五日本件店舗が取壊され、債務者が本件土地上において新建物の建築工事に着工したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同3、(二)は争う。

第三  疎明〈省略〉

理由

一まず、本件仮処分における被保全権利の存否について検討する。

1  申請理由1、(一)及び1、(二)、(1)の各事実、昭和五五年一一月六日債権者と債務者が本件土地建物の売買に関し売買代金、代金支払方法、引渡条件等について交渉したこと、昭和五五年一一月二七日債務者が債権者主張の条件を内容とする売渡承諾書を交付したこと、その後、本件店舗の借家人藤田らから債権者主張の立退念書を入手することが困難であることが判明したため、借家人藤田らから立退念書を取る方法に代えて大容と借家人藤田らとの間の立退きの合意を利用して借家人藤田らを立退かせる方法に変更されたこと、昭和五六年五月一〇日借家人藤田らが本件店舗から立退き、同月一五日本件店舗が取壊わされ、債務者が本件土地上において新築工事に着工したことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  本件土地建物は、大容が昭和五五年七月四日佐藤勝夫他二名から買受けたが、買受けの条件として、大容は本件土地上にマンションを建て、その一階専有部分を本件店舗の借家人である藤田(理髪業)と山下(牛丼店)に売り渡すことになつていた(売買予約)。更に、大容と借家人藤田らとの間において、昭和五五年九月一日、本件店舗の賃貸借契約は本件土地上に建築予定のマンションの建築確認が得られないことを解除条件として昭和五五年七月四日合意解除する、借家人藤田らは新建物の建築工事着工の日限り本件店舗を明渡す旨の即決和解が成立していた。債務者は、昭和五五年七月二一日仲介人酒井の仲介で、大容と借家人藤田らとのマンションの右売買予約を承認し、大容との間で、借家人藤田らのために、債務者が本件土地上に建築する鉄筋コンクリート造の店舗併用住宅のうち一階専有部分を大容に売却する旨の売買予約を締結のうえ、大容から本件土地建物を買受けた。

(二)  昭和五五年一〇月五日ころ、債権者は仲介人上田から本件土地建物の売買の仲介を受け、債権者側仲介人上田を通じて、債務者側仲介人酒井と売買の交渉を重ねたが、債権者は本件土地上に本件ビルを新築し、地下店舗、一階を債権者本社として使用する、他を分譲マンションとする計画を立てており、大容と借家人藤田らとの前記売買予約を解消させることが最大の関心事であつた。

(三)  昭和五五年一〇月中旬ころ、仲介人酒井は仲介人上田から債権者の意向として、債権者は本件土地上に本社ビルを建て、一階を本社として使用し、他は分譲したい、それには大容と借家人藤田らとの間の前記売買予約を解消し、完全な更地として譲渡して欲しいとの申入れを受け、この旨債務者の事業開発部長野村弘毅(以下「野村部長」という。)に報告している。そのころ、仲介人酒井は仲介人上田との交渉で本件土地建物の売買代金を二億九五〇〇万円とすることとし、他方、野村部長と検討の結果、借家人藤田らを本件土地上の新築建物に入居させないように処理し、年内に契約を締結することを目途とする、売買代金二億九五〇〇万円、契約時に手付金・内金として金二億円を支払う、残金は借家人藤田らの立退完了時に支払うとの条件で売買契約を成立させることとし、その旨仲介人上田に申入れた。

(四)  これを受けて、昭和五五年一〇月二三日、債権者から債務者に対し、買受希望金額二億九五〇〇万円とする買付証明書が交付された。

(五)  昭和五五年一一月六日の交渉の席で、改めて、債権者から本件土地を本社用地として使用したいので大容と借家人藤田らとの前記売買予約を解消して更地で売渡して欲しいとの申入れがあり、これに対して、野村部長から年内の契約締結を目途とする売買価格を金二億九五〇〇万円とし、契約時に手付金・内金として金二億円を支払い同時に所有権移転登記手続をする、残金の支払は引渡時とするが、本件土地の所有権移転登記をするのであるから、残金支払の確保のために抵当権設定か銀行の支払保証が欲しい、大容と借家人藤田らの前記売買予約の解消と立退時期については、大容を通じ借家人藤田らから立退念書を貰つてから契約を締結したいとの提案があり、残金支払に関する事項を除き債権者はこれを承諾した。そして、数日後残金の支払は債務者が西武信用金庫から代理受領する方法で行われることで合意された。

(六)  昭和五五年一一月二七日、債務者から債権者に対し、前項の合意に基づいて、次の内容の売渡承諾書が交付された。

(1) 売買価格 金二億九五〇〇万円

(2) 支払条件 (イ)契約時(手付金、内金)金二億円 金融機関の代理受領書と引換えに所有権移転

(ロ) 残金(引渡) 金九五〇〇万円

(3) 引渡条件 現状有姿のまま

(4) 契約時期 債務者と前所有者大容とで本件店舗の明渡に関する契約を締結し、借家人藤田らから立退念書徴求後

なお、債権者と債務者との間では、右立退念書について、大容と借家人藤田らとの前記売買予約を解消して本件店舗を立退き、将来本件土地上に新築される建物に入居しないことを内容とするものである旨の了解がなされていた。そして、昭和五五年一一月二九日、債務者は大容から翌一二月一二日までに右立退念書を取ることを確約する旨の覚書を受領した。

(七)  昭和五五年一二月一一日ころ、大容から仲介人上田、野村部長らに対し、借家人藤田の性格からして前記立退念書を求めることは藪蛇になるから、大容と借家人藤田らの前記即決和解を利用して立退きを進め、借家人藤田らの立退後大容との前記売買予約を解消した方がよい、その代わり、右売買予約が解消できなかつた場合には大容及び大容の代表取締役大崎喜三次が責任をとることを保証するとの意見が述べられ、検討した結果、前記立退念書を取ることは借家人藤田らとの紛争を惹起する危険があるなど極めて困難であるという結論に達した。

そして、昭和五五年一二月一二日野村部長は債権者に対し前記立退念書を取ることの困難な事情を説明し、債権者との間で大容と借家人藤田らとの前記即決和解を利用する方法を採用して前記売渡承諾書の契約締結時期の内容を変更し、もし大容と借家人藤田らの前記売買予約を解消できない場合には債務者が責任をとることを条件に、現状のまま年内に売買契約を締結することで債権者の同意を得た。

(八)  昭和五五年一二月一六日、債務者会社に債権者代表取締役食野三郎、債務者常務取締役森田淳、野村部長らが参集し、売買契約締結の詰めの交渉をしようとしたが、食野社長から、本件土地に本社ビルを建てるので借家人藤田らが戻つてくるのは困る弁護士とも相談した結果、債権者が本件土地建物を現状のまま買取つた場合、借家人藤田から仮処分を申請されるおそれがありこれに対抗する手段はない、また、借家人藤田の性格や言動に鑑み同人がどのような手段に出るかわからない、従つて、今すぐ金二億円支払い契約を締結することはできない、契約締結は建築確認申請時に行い、残金は建築確認時等に支払うということでなければ契約できないとの趣旨の申入れがなされた。森田常務や野村部長から借家人藤田の立退問題は債務者が責任をもつて処理するから年内に契約を締結するように説得したが、食野社長がこれに応じなかつたため、債務者側から年内契約を締結できないのであれば債権者との取引交渉は白紙に戻すとの話が出て、本件土地建物の売買の交渉はここに決裂するに至つた。

(九)  昭和五五年一二月一八日ころ、仲介人上田から仲介人酒井に対し債権者との取引を復活させるべく仲介の依頼があつたが、仲介人酒井はこれを断わっている。そして、同月二〇日債務者は大容から買受けた当時の方針に従い、債務者において自ら本件土地上に新築するマンションの設計をし、これを販売することに決定した。

同月二五日、野村部長が債権者方を訪れ、本件土地建物の取引を白紙撤回することを双方で確認したうえ前記買付証明書を返還し、売渡承諾書の返還については西武信用金庫に預けてあるということであつたので、債権者が後日これを債務者に送付して返還することを約束した。

(一〇)  昭和五六年一月、仲介人酒井は再び本件土地建物の売買の仲介を企て、債務者から新築建物の設計図面を預り、他の業者に対し仲介依頼、買受勧誘を行い、たまたま、仲介人上田が債権者に対し再度仲介してみたいというので、設計図面を債権者に交付しているが、債権者と債務者との本件土地建物の売買に関する交渉は昭和五六年入つて一回も行われなかつた。

(一一)  債務者は昭和五六年二月八日建築確認を申請し、同年四月三〇日建築確認を得た。

(一二)  昭和五六年五月九日ころ、借家人藤田らにおいて債務者が本件土地上に新築する建物の一階専有部分を買受けたいとの意思が強かつたので、債務者は借家人藤田らとの間で右新築建物の一階専有部分の売買契約を締結した。

昭和五六年五月一〇日借家人藤田らは本件店舗から退去し、同月一五日本件店舗が取壊わされ、同月二五日債務者は本件土地の地鎮祭を挙行した。

(一三)  債権者は債務者に対し、昭和五六年五月二〇日到達の書面でもつて売買予約完結の意思表示をする旨通知をなしている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人上田、同高知尾、債権者代表者の各供述部分は右認定事実に照らしにわかに採用することができない。

3  以上認定の事実を前提として債権者の主張について判断する。

(一) 債権者は昭和五五年一一月二七日売渡承諾書の交付をもつて売渡承諾書記載の条件を内容とする売買契約が成立したと主張するが以下の理由により失当である。

前記認定の事実によれば、本件土地上の本件店舗には借家人藤田らが入居しており、前所有者である大容と借家人藤田らとの間には、大容が本件土地上に新築するマンションの一階専有部分を借家人藤田らに売渡す旨の売買予約があり、更に、右マンションの建築確認申請時に大容と借家人藤田らとの間の本件店舗の賃貸借契約が合意解除され、借家人ら藤田らは右マンションの建築工事の着工日までに本件店舗を明渡す旨の合意がなされていたこと、債権者が債務者から本件建物を買受けるに際しては、本件土地上に本社ビルの建築を予定し、その一階部分を本社として使用する計画を立てていたので、本件店舗の明渡が確実に履行され、かつ、大容と借家人藤田らとの間の前記売買予約が解消されることが売買契約締結の重大な前提とされていたこと、そのために、債務者との取引交渉において、売買価格、支払条件、引渡条件等は容易にまとまつたものの、契約の締結時期については、売渡承諾書交付当時、借家人藤田らから大容との前記売買予約を解消し、本件店舗から立退く旨の念書を取つた後に契約を締結することとされていたが、右立退念書を取ろうとすれば借家人藤田らとの紛争に発展することが予想されたため、借家人藤田らが本件店舗に入居したままの状態で年内に契約を締結することに変更し、その後に大容と借家人藤田らとの前記認定の本件店舗の賃貸借契約の合意解除及び明渡に関する合意を利用して借家人藤田らを立退かせたうえ、その後で大容と借家人藤田らとの前記売買予約を解消させる方法に変更するなど売渡承諾書の作成交付の時点では契約締結の時期は未確定な状態にあつたこと、ところが、昭和五五年一二月一六日、債権者から、本件土地建物をこのまま買取つたのでは借家人藤田から仮処分の申請を受けることも予想され、その場合債権者には対抗する手段がない、従つて二億円支払つて契約を締結することはできない旨の申入れがあり、ために、年内の契約締結を主張する債務者と対立したまま、本件土地建物の取引の交渉は決裂し中止されるに至つたこと、その後、債務者から買付証明書が返還されると同時に債権者から売渡承諾書の返還が約束され、昭和五六年に入つてからは債権者と債務者との間で本件土地建物の取引に関する交渉は一度もなされていないこと、債権者が売買契約の成立の根拠とする売渡承諾書には、契約成立時に手付金及び内金として二億円が支払われることになつているがその事実もなく、また、契約締結時期については、前記認定の交渉の経緯に鑑み、債務者において、もし借家人藤田らから立退念書を取ることができたならば、その時に契約を締結するとの意味に解するのが素直であること、売渡承諾書については、売買契約の交渉段階において、交渉を円滑にするため、その過程でままつた取引条件の内容を文書化し明確にしたものと解するのが相当であつて、特に、債務者には、借家人藤田らの立退問題を未解決のまま、売渡承諾書の交付をもつて、直ちに売買契約あるいは売買予約を成立させようとする意思が存在していたとは認められないことなどが認められ、右認定に加えて、前記認定の交渉の経緯等の諸事情を考慮すると、本件における売渡承諾書は交渉を円滑にするため既に合意に達した取引条件を明確にしたにすぎないもので、昭和五五年一二月一六日、借家人藤田らの立退問題が解決されず、そのために契約締結時期について対立したまま債権者と債務者との本件土地建物の取引交渉は中止されており、前記認定の債権者と債務者との間の本件土地建物の売買の交渉の過程のいずれかの時点において本件土地建物に関する売買契約または売買予約等何らかの契約が成立したことを認めることはできないものといわざるをえない。

以上により、債権者の売買契約が成立したとする主張には理由がなく、ほかに債権者の右主張を認めるに足りる疎明資料はない。

(二)  更に、債権者は売買契約の成立が認められないとしても売渡承諾書の交付により売買予約が成立した旨主張する。

しかし、本件における売渡承諾書は交渉を円滑に行うために既に合意に達した取引条件等を明確化した文書にすぎないこと、特に、債務者において、借家人藤田らの立退問題を未解決のまま売渡承諾書の内容でもつて売買予約を成立させようとする意思が存在したとまでは認められないことは前記認定のとおりである。それに債権者と債務者との間において、売渡承諾書の内容で売買契約を成立させるについて債権者に予約完結権を授与する合意が成立したことを認めるに足りる疎明資料も存在しない。従つて、債権者の売買予約の主張も理由がないものといわなければならない。

ほかに、債権者の右主張を認めるに足りる疎明資料はない。

4  以上によれば、債務者との間で本件土地の売買契約または売買予約が成立したとする債権者の主張を認めるのに十分な疎明がないことになるから、債権者の本件仮処分の申請は被保全権利の疎明を欠くものといわざるをえず、また、疎明に代わる保証を立てさせることも相当でないと考える。

二よつて、その余の点について判断するまでもなく、債権者の本件仮処分申請を認容した本件仮処分決定は不当であるからこれを取消し、債権者の本件仮処分申請を却下することとし、訴訟費用について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(木下徹信)

物件目録〈省略〉

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